四川地震被害調査報告 | |
Masumi Yamada, Kyoto University | |
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四川地震被害調査報告![]() ![]() ![]() 0. ブン(さんずいに文)川県紫坪埔 1. ブン(さんずいに文)川県映秀鎮 2. ブン(さんずいに文)川県映秀鎮銀杏 3. 都江堰市 4. 徳陽市から綿竹市中心部へ向かう国道 5. 綿竹市中心部 6. 綿竹市漢旺鎮 7. 綿竹市漢旺鎮から奥へ向かう山道 0. ブン(さんずいに文)川県紫坪埔 地盤の応力変化を引き起こした可能性のある紫坪埔(Zipingpu)ダム(Fig1-1,1-2)。周辺の山では土砂崩れが多く発生していた(Fig1-3)。ダムにかかる廟子坪岷江大橋(Minjiang Miaoziping)の一部が地震で落下したが、今回の調査ではすでに復旧していた(Fig1-4)。 ![]() ![]() ![]() ![]() 1. ブン(さんずいに文)川県映秀鎮 映秀鎮は人口1万人ほどの山間部の町である。川が合流する三角地のような場所に発展している。 Fig2-1は映秀に向う分岐点。「震中(震源)」の文字が道路標識に見られる。道路のあちこちには、スローガンを書いた看板がかかっていた。Fig2-2は、「いかなる困難があろうとも英雄的中国人民は倒れない」と書かれている。Fig2-3は復旧援助隊の使用するプレハブ小屋。仮設住宅もほとんど同じ作りである。 ![]() ![]() ![]() Fig. 2-1, 2-2, 2-3 映秀の大きく破壊した建物(Fig3-1,3-2,3-3)。多くの建物がコンクリートの柱とレンガの壁で作られている(Fig3-4,3-5)。レンガの中には、中が空洞になった作りのものも見られる(Fig3-6)。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Fig. 3-1, 3-2, 3-3, 3-4, 3-5, 3-6 セン(さんずいに施)口中学の運動場に作られた仮設住宅(Fig4-1)。復興後の計画が看板に描かれている(Fig4-2)。セン(さんずいに施)口中学はモニュメントが作られ、震災の遺跡として公開されるらしい(Fig4-3)。 ![]() ![]() ![]() Fig. 4-1, 4-2, 4-3 調査した当時はがけ崩れや洪水がひどく、立ち往生している車も見られた(Fig5-1)。 Fig5-2の地図上で「天崩石」と書いてある地点まではアクセスできた。天崩石は地震の時に落石した石らしい(Fig5-3)。 地震直後に5.12映秀の文字が彫られていたが、今回「震中」の文字が追加されていた(Fig5-3)。震源は天崩石から10km程度の場所であるが今回は道路が閉鎖されていたためアクセスできなかった。ブン川県の復興は広東省が担当しているらしく、その中でも映秀鎮は東莞市の担当である(※1)。「広東省映秀鎮全力支援」の看板があった(Fig5-4)。 ![]() ![]() ![]() ![]() 2. ブン(さんずいに文)川県映秀鎮銀杏 地滑りによる川の増水と、洪水により村の一部が完全に水没している(Fig6-1)。元々は川の対岸に道があったが、土砂崩れがひどく復旧が難しかったために、川の反対側に新たに道を建設した。この道は元々高速道路建設用に準備していたが、震災を受けて応急的に開通したとのことである。銀杏村の小学校も広東省の建設会社により建てられており(Fig6-2) 、2009年9月に開校予定である(Fig6-3) 。 ![]() ![]() ![]() Fig. 6-1, 6-2, 6-3 3. 都江堰市 都江堰市は成都の北西50kmに位置する大都市である。成都からは高速道路で結ばれている。 完全に倒壊した建物は少なかったものの、大きく破壊した建物が多かった(Fig7-1)。大通りに面した建物の1階は商店として営業していたが、2階以上はほぼ空家になっており、住民の多くは仮設住宅に避難しているようであり、新しい復興住宅が数多く建設されている(Fig7-2,7-3,7-4)。都江堰市は上海の復興支援を受けている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 4. 徳陽市から綿竹市中心部へ向かう国道 この町では、春節の時に用いられる年画を製作している(Fig8-1)。四川地震では大きな被害をもたらしたものの、我々が調査した際にはほとんど復興していた(Fig8-2,8-3)。建物の壁には新しい漆喰に年画が描かれていた。Fig8-4は震災関連の年画である。 ![]() ![]() ![]() ![]() 5. 綿竹市中心部 数多くの仮設住宅が立ち並ぶ(Fig9-1)。復興住宅は集合住宅が多く(Fig9-2)、新しい都市計画が示されている(Fig9-3)。綿竹市は江蘇省の復興支援を受けている(※1)。 ![]() ![]() ![]() Fig. 9-1, 9-2, 9-3 6. 綿竹市漢旺鎮 2時28分で止まっている時計塔(Fig10-1)。震災のシンボルとなっているらしい。この町では中層建物が多く、壁面に多くの被害が見られた。被害の大きかった建物(Fig10-2)や廃墟のようになっている病院(Fig10-3,10-4)。漢旺鎮は江蘇省無錫の復興支援を受けている(Fig10-5)(※1)。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 漢旺鎮のほとんどの建物で壁や窓が完全に落下している(Fig11-1,11-2,11-3,11-4)。特にレンガ壁の被害が著しい。Fig11-5は地震遺跡として保存される予定の場所。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 仮設住宅の様子(Fig12-1)。仮設住宅の中でも色々な商売が行われている。Fig12-2はビリヤード台、Fig12-3はレストラン。Fig12-4はレストラン内部の様子。 ![]() ![]() ![]() ![]() 7. 綿竹市漢旺鎮から奥へ向かう山道 Fig13-1は地震で被害を受けた鉱山。道のほとんどが土砂崩れの被害を受け、臨時につくられたものである(Fig13-2)。対岸の道は土砂崩れを受けて通行不能となっていた(Fig13-3)。土砂崩れのために下半分の樹木の根が切断され、枯れている(Fig13-4)。Fig13-5,13-6は手前側半分が倒壊した水利施設。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Fig. 13-1, 13-2, 13-3, 13-4, 13-5, 13-6 この辺りはほとんどが1階あるいは2階の低層建物である。倒壊した建物も多く、甚大な被害が発生した(Fig14-1,14-2)。大きな土砂崩れが発生した場所もあった(Fig14-3,14-4)。ここでは地震発生当時に爆破音と共に土砂が噴き上げたらしい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Fig. 14-1, 14-2, 14-3, 14-4, 14-5, 14-6 前日に大雨が降ったために、道路に真新しい土砂崩れが発生していた(Fig15-1)。四川の建物はコンクリート躯体にレンガの壁を埋めた構造が多いが、山間部の方へ向かうと木造建物も見られた(Fig15-2,15-3,15-4)。 ![]() ![]() ![]() ![]() 復興支援について四川地震の被災地の復興には、対口支援というシステムが取られている。これは、経済的に発展した沿岸部の地域と、被災地の都市を1つずつペアにして、支援関係を結ぶものである。例えば、ブン川県の復興には広東省が、都江堰市の復興には上海が対応している。 例えば、下記の新聞記事では、無錫市が綿竹市漢旺鎮の復興に対応することを紹介した上で、「無錫市は中央の要求である8億元の財政的援助を完了し、さらに3億元の社会募集資金(寄付金)を完了した。」と書かれている。このように、復興支援は沿岸都市の政府予算と寄付金によって行われているようである。![]() |
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